手紙の価値に気づくきっかけは、20歳の誕生日に、祖母が突然亡くなったことでした。
家庭の事情で会う機会がなくなっていた祖母。最後に会ったのはその知らせを受ける数年前のことでした。
「ごめんね…。」
涙を浮かべながら口にした祖母の言葉に、私はなにも返すことができませんでした。
なにかを口に出したら涙がこぼれそうだったから。まさかこれが最後の会話になると思っていなかったから。
「亡くなった」という知らせを受けたとき、小さい頃の思い出とともに、伝えたかった想いが溢れて止まりませんでした。
ありがとうって言いたかった。
ごめんねって言いたかった。
伝える手段はいくらでもあったのに、もうその機会すら失ってしまった。
自分が招いた取り返しのつかない事実と後悔に押しつぶされそうな気持ちでした。

実家に戻ってからも、一人になった途端、ただただ泣くことしかできなくなっていました。
そんなとき、偶然目に入ったレターセット。手紙を書くことが好きだった私が、実家の勉強机に残していたものでした。
私はそのレターセットに、『祖母への手紙』を書くことに決めました。
「よし、書こう。」という覚悟よりも、なにかにすがるような切実な思いで。
ささやかすぎる思い出、聞きたかった黒豆のレシピ、「二十歳を迎えたよ。」という報告、そしてこれからの自分の夢…。
整った文章なんて気にせずに、ただただ自分の言葉で、語りかけるように綴りました。
言葉にしていくうちに、心の奥底にあった色んな思いや、蓋をしていた感情が、浮かび上がっては自然と流れていくように、なにかが動き出したような感覚がありました。
きっと、抱え続けた心の重荷のようなものをそっと下ろせたのだと思います。
手紙を書き終えたとき、ふと気持ちが軽くなっていることに気づきました。
『最後に会えなくてごめんね』
そんな書き出しの、文字が涙で滲んだ手紙は、棺桶に入り祖母とともに天国へ旅立ったようです。
私はこの日、想いを伝えぬまま大切な人を失うことがどれほど怖く、どれほど大きな後悔をもたらすのかを知りました。
そして、
「いつか伝えよう」と思っていた言葉の“いつか”は、あまりにも儚く、突然終わりを迎えることがあるのだということも痛感しました。
そこから救ってくれた手紙の存在。
自分の手を動かして言葉を紡ぐ行為は、ときに“心を救う”ほどの大きな力があるということを身を持って体感しました。
── 同じように苦しむ人を、救いたい。同じように苦しむ前に、伝えたい。今度は私が手紙で人を笑顔にしたい。
これがすべての原点です。
いつかじゃなくて「今」、だれかのためじゃなくて「自分のために」。
手紙のヒトとしての活動は、ひとりでも多くの人が、私自身と、「手紙」という存在を通して、素直に生きていけるように、
おばあちゃんが私に贈ってくれた使命なのかもしれません。

20歳という節目を迎え、
大切な人を笑顔にできる、強く優しい人間になろうと決めました。
そのためには、自分が笑顔で明るく生きようと思う。
貰った愛を強く受け止めて、周りの大切な人みんなに返していくね。
そして夢をもって全力で生きるね。
祖母に宛てたあの手紙の中で誓ったような、強く優しい人間になれるように、「手紙のヒト」という生き方を全うしていきたいと思います。
akina